【初投稿】一般的な人生の意味はない

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 初めての記事投稿。

最近読んだ本の要約・感想を書いていこうと思う。

第1回目は、アドラー心理学の著書、「嫌われる勇気」にした。

最初に本の内容をざっくりまとめると、こうだ。

人生を幸せにするために必要なこと

それは、

ありのままの自分を受け入れ、他者を信頼し、他者貢献をする。

That’s it.

では行ってみよう。

自らの目的

 トラウマは存在しない

アドラー心理学とは「目的論」に基づいた心理学である。

目的論とは、いかなる経験もそれ自体では成功の原因でも失敗の原因でもなく、

我々は、自らの経験によって目的にかなうものを見つけ出していくという考え方だ。

経験そのものによって、現在そして未来が決定されるのではなく、

経験1つ1つに意味づけをし、自らの人生を決めている。

ということである。

そして、

アドラー心理学では、トラウマの議論に代表されるフロイト的な原因論を否定する。

過去の経験によって全ての出来事を説明しようとすると、

話はおのずと「決定論」に行き着いてしまい、

私たちは人生に対し絶望し、何の手立ても出来なくなってしまうからだ。

アドラーの目的論は、

これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない。

と主張する。

自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ、と。

過去にどんなことがあったとしても、そこにどのような意味を与えるかによって、

現在の在り方は変わる。という事である。

 ライフスタイルを選ぶのは自分

アドラー心理学によると、

ライフスタイル、つまり「人生の在り方」は自ら選び取るものだ考える。

無論、1人1人生きてきた環境や文化は違うわけで、

それらが影響してくることも事実だ。

だが、それでもなお、「こんなわたし」を選んだのは自分自身である。

と考えるのがアドラー心理学。

人はいつでも、どんな環境にいても変われるという事が可能ならば、

どうして人は簡単に変われないのか。

How come we cannot change then

それは、

自らに対して「変わらない」という決心を下しているから。

更に、付け加えて言うと、

少しくらい不満があっても不自由であっても、

結局は、

「このままのわたし」でいる方が、楽であり、安心できるから、人は変わらない。

というのだ。

気質や性格は、

自分の意思とは無関係に備わるものではなく、自ら選びに取りに行っている。

という考え方である。

 権力争いには乗らない

アドラー心理学では、相手の言動によって本気で腹が立った時、

その人の隠し持つ「目的」を考える。

その目的が権力争いだと察知したら、いち早く争いから降りる。ということだ。

この権力争いから考えられることは、相手は闘いに勝つことによって

自らの力を証明し、気に食わない相手を屈服させるという目的がある。

ここで彼らの挑発に乗ってしまえば、彼らの思惑通り。

関係は権力争いに突入する。

そして、仮に敗北を認めた相手が、一旦は引き下がったとしよう。

しかし、相手は別の形で、復讐を画策してくるであろう。

  • 子供の非行や不登校
  • リストカット

これらを、

フロイト的な原因論で考えるならば、

「親がこんな育て方をしたから、子供がこんな風に育った。」とシンプルな因果律になる。

しかし、アドラー的な目的論では子供の隠し持つ目的、

「親への復讐」という目的を見逃さない。

これらは、

過去の原因(家庭環境)に突き動かされているのではなく、

今の目的(親への復讐)を叶えるための行動なのだ。

So, what am I supposed to do in this situation?

それは、

相手のリアクションに対してリアクションを返さない。

それが私たちにできる唯一のことである。

言葉で説明する手順を面倒に感じ、

無抵抗な相手をより安直な手段で屈服させようとする行為は、

捏造された怒りという感情を使っているだけ。

怒りという道具に頼らず、言葉の力を使うべきである。

権力争いについて、

もう1つアドラーは大切なことを言っている。

いくら自分が正しいと思えた場合であっても、

それを理由に相手を非難しないようにするという事だ。

そもそも主張の正しさとは、勝ち負けに関係はなく、

あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべきだ、

という話である。

権力争いから降りることは「負け」ではない

という考えがアドラー心理学だ。

同じではないけれど対等

 対人関係の軸を「競争」とすると、

人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることができない。

Why ?

競争の先には、勝者と敗者がいるからだ。

健全な劣等感である「理想の自分」との比較に目を向けず、

他者との競争を意識しすぎると、他者の存在は「敵」になってしまう。

たとえ敗者にならずとも、たとえ勝ち続けていようとも、

競争の中に身を置いている人は心の安まる暇がない。

社会的成功をおさめながらも幸せを実感できない人が多いのは、

彼らが競争に生きているからである。

アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、

すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱している。

大切なのは、他者を評価しないという事

評価の言葉とは、縦の関係から出てくる言葉で、

あらゆる人にないして「同じではないけれど対等」という横の関係を気付くことができれば、

もっと素直な感謝や尊敬、喜びの言葉が出てくる。

課題の分離

 1人の個人が、社会的な存在として生きていこうとする時、

直面せざるをえない対人関係のことをアドラー心理学では「人生のタスク」と呼ぶ。

対人関係の中で、傷つかないなど、基本的にはありえない。

対人関係に踏み出せば、大なり小なり傷つく。あなたも他の誰かを傷つけてしまうこともある。

そこでアドラー心理学では、課題の分離をしていく必要があるという。

「これは誰の課題なのか?」という視点で、

「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」

を考える。

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと。

あるいは、自分の課題に土足で踏み込まれること。

によって引き起こされるからだ。

例として、世の中の親たちを挙げる。

  • 子供に対して、頻繁に「あなたの為を思って」と介入しまくりの親。

→ これは子供の為ではなく、明らかに自分の目的のための発言。

その目的とは、世間体や見栄え、支配欲を満たすためであり、

他者の課題に土足で踏み込むんでいる状態。

  • 「子供こそ我が人生」と思っている親。

→ いつも子供のことばかりを考えていて、その関係に悩んでいる、

そして、気が付いた時には人生から「わたし」が消えている。

どれだけ子供の課題を背負い込んだところで、子供は独立した個人であり、

親の思う通りにはならない。

そして、相手が自分の思う通りに動いてくれなくても、怒ってはいけない。

それが当たり前なのだ。

もしも人生に悩み苦しんでいるとしたら、

それは対人関係なのだから、

「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知ることが大切なのだ。

そして、他者の課題は切り捨てる。

それが人生の荷物を軽くして、人生をシンプルなものにする第一歩である。

承認欲求の否定

 他者から嫌われたくないと思う事。

これは、人間にとって極めて自然な欲望であり、衝動である。

では、この欲望や衝動のおもむくまま生きること、

坂道を転がる石のように生きることが「自由」なのか。

It is absolutely NOT !

そんな生き方は、欲望や衝動の奴隷でしかない。というのだ。

本当の自由とは、転がる自分を下から押し上げていくような態度である。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、

承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、

自分の生き方を貫くことはできない。

つまり、自由にはなれない。

というのが本書の主張である。

誰かに嫌われているということ、

それはあなたが自由を行使し、自由に生きているという証である。

アドラーは言う。

我々はなにかの能力が足りていないのではない。

ただ勇気が足りていない。

ただそれだけ。

共同体感覚

 他者を仲間だとみなし、

そこに「自分の居場所がある」と感じられることを共同体感覚という。

アドラー心理学では、

自分の居場所があるという所属感とは、

ただそこにいるだけで得られるものではなく、

共同体に対して自らが積極的にコミットすることによって得られるものだと考える。

言い換えると、

「人生のタスク」に立ち向かう事で得られるという事だ。

私たちは、世界の中心にいるわけだはない。

自分の足で立ち、自分の足で対人関係のタスクに踏み出さなくてはならない。

これこそが共同体へのコミットである。

具体的には、

自己への執着(Self interest)を他者への関心(Social interest)に切り替え、

共同体感覚を持てるようになること。

そこで必要になるのが、下記3つ。

自己受容・他者信頼・他者貢献である。

 自己受容

「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める必要が私たちにはある。

我々は、「何が与えられているか」について、変えることはできない。

しかし、「与えられたものをどう使うか」については、

自分の力によって変えていくことができる。

だったら、「変えられないもの」に注目するのではなく、

「変えられるもの」に注目するしかない。これが自己受容。

 他者信頼

肯定的な諦めとして、自己受容ができたからといって、共同体感覚が得られるわけではない。

「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えていく時、

絶対に欠かせないのが他者信頼。

まず、交換不能な「このわたし」をありのままに受け入れること。

→ 自己受容

そして、

他者に対して無条件の信頼を寄せること。

→ 他者信頼

そして、この場合の他者とは自分にとってどんな存在になるか?

仲間。

つまり、

「ここにいてもいいんだ」と思えるためには、

他者を仲間だとみなす必要がある。

そして、

他者のことを仲間だと思えるには、自己受容と他者信頼の両方が必要不可欠になる。

 他者貢献

他者貢献が意味するところは、自己犠牲というわけではない。

むしろアドラーは、他者のために自分の人生を犠牲にしてしまう人のことを、

「社会に過度に適応した人」であるとして、警鐘を鳴らしている。

それでは、他者貢献とは? 

Can you explain exactly what do you want to say?

それは、

「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、

むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるもの。である。

アドラーの見解はこうだ。

「人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる」。

そして人は、

「私は共同体にとって有益なのだ」と思えた時にこそ、

自らの価値を実感できる。

つまり、

他者から「良い」と評価されるのではなく、

自らの主観によって、

「わたしは他者に貢献できている」と思えること。

そこで初めて、我々は自らの価値を実感することができる。

他者に関心を寄せる事、そして横の関係を築き、

勇気づけのアプローチをしていくこと。

これらはすべて「私は誰かの役に立っている」という生の実感につながり、

回りまわってあなたの生きる勇気に繋がる。

アドラー心理学とは勇気の哲学なのだ。

貢献感を持つ

 アドラー心理学の他者貢献とは、

目に見える貢献でなくても構わないという。

あなたの貢献が役に立っているかどうかを判断するのは、

あなたではない。

それは他者の課題であって、あなたが介入できる問題ではない。

本当に貢献できたかなど、原理的に分かり合えない。

つまり、

他者貢献していく時の我々は、たとえ目に見える貢献でなくとも、

「私は誰かの役に立っている」という

主観的な感覚を、すなわち「貢献感」

を持てれば、それでいい。ここで大切なのは、

貢献感を得るための手段が「他者から承認されること」になってしまうと、

結局は他者の望みどおりの人生を歩まざるをえない。

承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由がない。

我々は自由を選びながら、なおかつ幸福をめざすべきなのだ。

最後に、

人生の意味とは何か?

というある人からの質問に対し、

アドラーは答える。

「一般的な人生の意味はない」

Really!????

だから、

「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」と。

感想

  人生の全ての悩みは対人関係にあるというアドラーの考えについて、最初は疑問に思った。

本書に出てくる青年と同じような感情を抱いた。

しかし、読み進めていくうちに気付いた。

思っていたよりも世界はシンプルで、

私たちが人生で意識しなければならないことは、わずかしかない。

冒頭でも言ったが、

人生を幸せになるために必要なこと

それは、

ありのままの自分を受け入れ、他者を信頼し、他者貢献をする。

それだけ。

いざ、これらを実践するのはいきなりは難しいが、

試してみる価値は大いにあると思う。

Thank you for reading my blog until the end.

I will keep updating my everyday life. Thanks again !

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